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「タトゥーに、生かされた。」——独学で道を切り開いた若き彫り師・TAROの人生 – TATTOO JAPAN #10

TARO(TATTOO STUDIO DARA):東京と静岡スタジオ2店舗で活動しているタトゥーアーティスト。アメリカントラディショナルや和彫を得意とするがオールジャンル対応可能 (@tattoo_dara)

タトゥーアーティストインタビュー連載、第10回は、独学で彫り師としての道を切り拓いたTAROさん。
一度は一般企業に就職するも、自分の生き方を見つめ直し、タトゥーの世界へ。現在は東京、静岡の2拠点でスタジオを運営し、多くのファンを持つTAROさんに、これまでの歩みとタトゥーへの想いを伺いました。

タトゥーとの出会いはファッションだった

タトゥーを初めて入れたのは大学1年生の頃です。

保育園から高校までの間、父の影響でずっとサッカーに打ち込んできて、アートとはまったく無縁の生活をしていました。それまで見えていなかった世界に目が向くようになって。その中で出会ったのが、ファッションとタトゥーでした。

当時はとにかくファッションにハマっていて、特にYouTuberのカワグチジンさんに憧れていたんです。彼の影響で、「タトゥーってめちゃくちゃかっこいいな」と思うようになって。試しに入れてみたのが最初ですね。

最初に入れたのは、股関節の付け根に小さなレタリング。ジャンルもよく分かっていなかったし、「とりあえずレタリングなら無難かな」って感じで。正直怖かったので、なるべく痛くなさそうな場所を選びました(笑)。一個入れてからは、どんどん増えていきましたね。

社会に馴染めず、うつ病に。人生が暗転した日々

大学を卒業した後、一度は大手企業に就職したんです。記念受験のつもりで受けた会社だったんですけど、受かっちゃって。

でも、やっぱりうまく馴染めなくて、うつ病になって。その後、転職もしてみたんですけど、やっぱりどこかで合わなくて。「ああ、自分はもう一般企業では働けないな」と感じて、最終的には運送の仕事をしていました。その時にタトゥーはたくさん増えましたね。タトゥーをどんどん入れる中で、彫り師という仕事に強く惹かれていきました。

タトゥーへの没頭。そして彫り師という選択

いろいろな彫り師さんと出会っていく中で「彫る側ってかっこいいな」って思ったんです。本気で彫り師を目指そうと決めたのは、その時からですね。

社会で二度もつまずいていたので、弟子入りして誰かに迷惑をかけたくなかったし、うつ病が再発するのも怖かった。だから、最初からひとりで始めることを決めました

独学の修行生活。“彫られながら学ぶ”という方法

最初は、自分が彫りに行ったタイミングで、施術台や道具を見て「あれが必要なんだ、これが必要なんだ」とメモして、Amazonで買ったりしてましたね。見たことがないものがあったら買ってみたり(笑)。

そこからは自彫りとフェイクスキンで、ひたすら練習。当時、素人ながらに「タトゥーは線が重要なのかな」って思ったんです。いわゆる綺麗な絵を彫る練習はせずに、ひたすら直線や図形を彫る練習ばかりしてました。時々、自彫りをして人肌での感覚とか色味を確認したりもしましたね。

当時は運送の仕事をやりながらだったので、朝5時に起きて14時まで働いて、一度帰宅して勉強。18時から再び夜の運送に出て、夜11時頃からまた勉強する生活をずっと続けてました。

勉強のために入れたタトゥーも多いですね。自分には師匠がいなかったので、彫ってもらうときに吸収するしかなかったんです。

例えば「このぼかし、どうやって入れてるんだろう?」と思ったら、そのぼかしが使われてる作品を自分の身体に彫ってもらう。タトゥーマシンは今はワイヤレスが主流なので、設定のボルトとかも一瞬見えるタイミングがあるんですよ。「線を引くときはこのボルトか」とか、「ぼかしのときはこの設定なんだ」とか、そういうのを盗み見して理解して、持ち帰ってフェイクスキンや自彫りで試してみる

そうやって、いろんな彫り師さんから実際に見て学んで、盗めるものを盗んで、自分の中に落とし込んでいった形です。

モニターからのスタート。仲間と築いたスタジオ

1年ほど練習した後、ある程度自分の中に自信がついたので、お客さんを取り始めました。一人目は友達でしたね。個人のインスタでモニターの応募をしたら、声をかけてくれて、それが初めての施術でした。

そこからは一応お店としてインスタのアカウントを作って、営業を始めました。最初の1〜2か月は月4人とかだったんですけど、ちょうどその頃、高校の同級生でSNS関係の仕事をしてる親友が独立したばかりで。「とりあえず一緒に頑張っていこう! 集客はお前に任せるわ」って頼んでみたんです。

そしたら思ったより優秀で、「え!? お前こんな呼べるん!?」って(笑)。

彼もタトゥーの集客は初めてだったので、二人で一緒にいろんな方法を試しましたね。「これあんまハマんないね」とか、一緒に考えて試行錯誤しながら今に至ります。

立ち上がりは、彼が集客をやってくれたおかげもあって、早かった方だと思います。ただ当時は本当にお金がなくて、借金もあったので、睡眠時間も食事も削ってとにかく働きましたね。趣味も多かったんですけど、サーフィンもスノボもスケボーも釣りもキャンプも、全部やめました。

独学でやってる分、人よりも多くの時間を使わないといけないのは自分でわかってたので、脇目を振ったら失礼だなと、ワークライフバランスだ趣味だなんて、そんなうまい話はないと思いました

なので早い方だと思いますけど、とにかく全振りはしましたね。

静岡への想いと、もう一つの拠点づくり

実家が静岡なんですよ。地元が好きで、地元でも仕事をしたいなと思ったんです。

この職業は、お客様がいらっしゃれば場所はあまり問われないので、「静岡でもやります」と告知したら、ありがたいことに結構反響があって。最初はレンタルスペースのような場所を借りてやってたんですけど、「スタジオ、ちゃんと作ろうかな」と思ったんです。

友達の紹介もあって、いい設備で、しかも路面店を安く貸してくださる方が現れて。ありがたいことに、今は本格的にスタジオとして構えてやってます。

今は、1ヶ月のうち1週間は静岡で施術していますね。

“上手い”を超える。誰にでも伝わるタトゥーを

特に、彫り師として名を残したいとか、そういう気持ちはなくて。お客様が100%満足して帰ってくれるようなタトゥーを彫れれば、それが一番いいかなと思ってます。

当然、彫り師やアートの知識がある人が見て「凄い」と思ってもられるようなタトゥーを目指すんですけど、お客さんの中には、タトゥーのことをまだあまり知らない人も多いと思うんですよね。
そういう専門知識がない人が見ても凄いなと思ってもらえるような作品とか作風を目指したいですね。

例えば葛飾北斎の「富嶽三十六景」みたいな絵って、何も知らずに美術館に行って見ても、「上手っ!」ってなると思うんです。そういう作品って基本的にプロから見ても上手いじゃないですか。

美術館にあるような綺麗な絵画を見た時と同じような感覚を、いろんな人から引き出せたらいいなと思ってます。

タトゥーに、生かされた

「生き甲斐、ですかね。」

うつ病を患って、借金もあって、社会に馴染めなかった時に、生きることを諦めかけていたんです。タトゥーだって、正直成功するなんて思っていなかった。だから最後の賭けでした。もし失敗したら、それで終わりにしようって

だからある意味、全部タトゥーに振り切れたんです。

ありがたいことに、今こうして沢山の人が来てくれるスタジオを作ることができて、ご飯も食べられて、生きていられる。ほんの少し何かが違っていたら、きっと僕は今ここにいなかったと思います。そう思うと、タトゥーに生かされたと言えるかなと。

僕のタトゥーで喜んでくれてる人の笑顔が今、僕を生かしてくれてます。