King Of Tattoo 20年の軌跡──KATSUTA★さんが語るタトゥー業界の変化 – TATTOO JAPAN #14
2025/08/25
今回は今年で20周年を迎えたタトゥーコンベンション「King Of Tattoo」を主催しているKATSUTA★さんにお話を伺いました。
近年の日本タトゥーシーンに大きな影響をもたらした「King Of Tattoo」。KATSUTA★さん自身のタトゥーとの出会いから「TOKYO HARDCORE TATTOO」を開業したきっかけ、そして「King Of Tattoo」をはじめた背景について語っていただきました。
そして最後には著者が潜入したKing Of Tattoo2025のレポートをお届けします。
KATSUTA★さんがタトゥーに出会ったのは、子どもの頃に見た三社祭だ。ふんどし姿で歩く刺青姿の大人たちに心を奪われたという。そしてバンド活動を通じて、タトゥーへの憧れが「入れたい」という願望へ変わった。
「高校生の頃、バンドマンの間でタトゥーを入れるのが流行ってたんですよ。そんな環境だったから自然と俺もタトゥー入れたいなって。」
初めてタトゥーを入れたのは、20歳の時に旅行で訪れたハワイだった。値段が貼られたフラッシュの中から選び、当時7,000円ほどで初のタトゥーを手に入れた。
一方、当時の日本では、タトゥースタジオはごくわずかでフラッシュワークが主だったこともあり、同じ絵柄の人が多く見られたという。
「東京だと横須賀の彫新さんしかいなかったから、みんなそこに行っていましたね。しかも当時はまだフラッシュワークしかやってなかったから、同じ絵柄の人が何人もいましたよ(笑)。『あいつと同じユニコーンだったー』とか(笑)。そういう時代でしたね。」
タトゥースタジオを始めたのは2002年。きっかけは、バンド仲間の一人が彫り師になろうとしていたことだった。
「バンドの友達が独立して彫り師になるって言ってたから、「じゃあ俺が店出すよ」ってことで準備を進めてたんだよね。」
友人との友情から始まったスタジオ運営だったが、物件探しは困難を極めたという。当時の社会的なイメージから、タトゥースタジオはヤクザと同一視されており、運よく借りられた物件も、下の階がアダルトビデオ屋という特殊な環境だった。
苦労した物件探しが終わり、ようやくスタジオがオープンできるという時に、更なる苦難が訪れる。スタジオ運営のきっかけとなった友人の死だ。
「ちょうど店を借りた頃に、亡くなっちゃって……他のやつらをかき集めて、とりあえずオープンしたんですよ。」
そうして、なんとかオープンへ漕ぎ着けたスタジオだが、1年ほど経つと地元のヤクザからみかじめ料を要求される。
「盆暮・正月に1万5千円ずつ花を卸すから、年間3万円を払えって。複数の組員に顔通しさせられるから、切るのは本当に難しいですよ。商店街費だって月3千円あるのに、なんで表の商店街と裏の商店街に金払わなきゃいけないんだよって(笑)」
複数の組員に顔がバレているため、通報して1人捕まっても他の組員からの追い込みが想定される。彼の場合は警察が偶然店を訪れたことから、助けを求められたというが、その裏には多くのストレスや恐怖があった。
「ニューヨークとかで海外のコンベンションやイベントを見てみると、めちゃめちゃ面白かったんですよ。日本では反社扱いされる刺青が海外ではこんなにも和気藹々としているのかって。俺はお祭り屋さんっていうのもあって、やってみたいと思ったのがきっかけです。」
そうした海外のタトゥーコンベンションに刺激を受け、KATSUTA★さんは2005年に「King of Tattoo」を立ち上げた。
「当時の彫り師は、それぞれが独立しているような感じでした。だから、集めようと思っても「誰と誰が仲悪い」ばっかり。」
当時の彫り師は派閥や縄張り意識が強く、合同イベントは実現困難だった。しかし、KATSUTA★さんはテクニック重視で有名な彫り師を集め、派閥を越えた場を作ることに成功する。
「俺がKing Of Tattooを始める前のコンベンションは、身内しか出さないのばかりで、それだと先が見えてる。『いろんな派閥から有名なやつを集めるんだ』ってしがらみを無視してやったのは多分俺が一番最初かな。」
第1回は新宿のライブハウス・ロフトで6人ほどの彫り師と開催し、200人以上の来場者に恵まれる。この瞬間、タトゥーイベントが成り立つと確信したと語る。
そして第2回、第3回と回を重ねるごとに、参加する彫り師の数も増え、最大で1日24名の彫り師が参加する一大イベントへと成長を遂げる。
KATSUTA★さんは、技術向上のためにも海外の著名な彫り師たちを日本に呼ぶことに力を入れてきた。
「当時から日本の彫り師の技術は素晴らしかったんだけど、やっぱりタトゥー(洋彫り)に関しては海外の方が進んでた。海外のトップアーティストの技術を日本で生で見られる機会を作りたいなと。」
日本の彫り師は器用で、良い刺激を受ければ一気に技術が上がる。そう信じて現地に足を運び、彫り師の絵を見て直接交渉することもあった。
「タトゥーバーストでロバート・ヘルナンデスが彫ったKISSのジーン・シモンズの作品見て、『なんじゃこれ!』って度肝抜かれてさ。会いたくなっちゃって、スペインまで行ったもんね。」
日本の彫り師の技量の高さを理解していたからこそ、ジャンルに囚われず、それぞれの分野の最先端の彫り師を世界から呼び寄せ、日本のタトゥーの技術向上に尽力した。
現在、日本でさまざまなジャンルのタトゥーが広まっているのは、King of Tattooの存在が大きいと言っても過言ではないだろう。
ミスが許されない中、お客さんの身体に一生残るタトゥーを描く彫り師の世界は時に孤独で、プレッシャーが大きいものでもある。
「ストレスたまる商売だと思うよ。みんな外に出ずに、家でずーっと明日彫ること考えてる。ミスが許されない一発録りのレコーディングを毎日してるようなもんだよね。しかも、ずっとワンマンでやってるような人たちだから、交流もないしね。」
だからこそ、King Of Tattooは単なる発表の場ではなく、お祭り気分で息抜きができる場所であるべきだと、KATSUTA★さんは語る。
「久しぶりに友達に会って、絵を描くっていう共通の興味関心を語り合って、騒いで飲んでってできる交流の場にしたいね。」
一昔前と比較すると社会的に受け入れられるようになった「彫り師」だが、その労働環境はまだまだ厳しく、特殊と呼ばざるを得ない。KATSUTA★さんが見据えるものは日本のタトゥーシーンを彫り師でも、彫られる側でもない立場から見続けた、生粋のお祭り屋の彼だからこそ描ける未来といえる。
King Of Tattoo2025は3月28日〜3月30日の3日間開催された。著者自身も初めてのタトゥーイベント・コンベンションであったため、緊張しながら現地へ赴いたが、全体を通してとても和気藹々としたイベントだった。
会場内では今回のチラシデザインを手掛けた彫和舜をはじめ、ロバート・へルナンデス、美漸、信州まなぶ、天王寺 彫はる、IVOLY TATTOO、Wizard T.Sなど様々なスタジオ・アーティストやサプライヤーがブースを出し、グッズの販売やタトゥー施術を行い、のどかな活気に満ちあふれていた。
また、タトゥー愛好家やスタジオの関係者が一堂に会する場ということもあり、和彫りからブラックアンドグレー、アメトラ、リアリスティック、バイオメカなど様々なタトゥーがライブハウス内を闊歩する。
そして、あちこちから「そのタトゥーかっこいいですね!」「誰に入れてもらったんですか?」などタトゥーという共通の話題を元に、知らない人同士が会話を弾ませていた。タトゥーに対して世間が持つイメージとはまた異なる、非常に穏やかな空気感がとても印象的だ。
そんな中ステージ上では、会場の人をランダムに選びタトゥーの紹介をしてもらっていた。全体のスケジュールは決まっているものの、誰に登壇してもらうかなどは全てその場で決めているのだとか。こうした即興性が、King Of Tattooの柔らかな空気感を作っているのだろう。
夜が更けてくると、とうとうコンベンションの時間である。著者が参加した日は「リアリスティックタトゥー」「King Of Tattoo」「バックピース」の3部門が開催された。
※King Of Tattoo部門とは、3日間のイベント期間で彫られたタトゥーの中で行われるコンテストである。
ステージ前はコンベンション前の雰囲気からは一変し、この日最大の盛り上がりを見せる。
最初は7名の参加者からなる、リアリスティックタトゥー部門から始まった。
一言にリアリスティックと言っても、アーティストの肖像画から、侍と紅葉をモチーフにした作品などそれぞれの個性が光る業物がステージに並ぶ姿は圧巻である。
そんな中、優勝したのが沖縄を拠点に活動している「KEN Tattoo」による作品だ。深い水の中から、剣と盾を持った人魚が泳いでくるかのような迫力と神秘性が特徴的といえるだろう。
そして、King Of Tattoo部門では5名がエントリー。この短いイベント期間中に彫られたとは思えない広範囲なタトゥーから繊細なタトゥーまでこちらも十人十色である。
その中で賞を勝ち取ったのは、中目黒に拠点を置く「三ヶ町 彫ぺこ」の作品だ。あたかも水墨画のような自然なグラデーションと優しい色使いがとても印象的である。
そしてこのコンベンション最後の部門、バックピース部門へ入っていく。バックピース部門はなんと18名のエントリーがあり、全員が並んだ姿は見事という他ない。
ブラックアンドグレーやネオトラディショナルタトゥーも見られるが、やはり和彫りが大多数を占めるのは日本のコンベンションらしいと言える。
通常であれば一度の投票で優勝作品が決まるのだが、人数も多かったことからか3作品が同率となり決選投票が行われた。
そんな激戦の中、栄誉ある賞を掴み取ったのが、三軒茶屋を拠点に活動する「彫和舜」による花魁のバックピースであった。花魁といえば純然な美しさを際立たせたくなるものだが、今回の花魁は残酷絵・無惨絵と呼ばれる部類だ。
血色のない顔に滴る赤い血と、周辺の蛇や花の対比がとても美しく印象的な一作だ。
King Of Tattooの20年の歴史の間には大阪タトゥー裁判を筆頭に、タトゥー業界を渦巻く様々な紆余曲折がある。そんな中でも、技術を磨き日本のタトゥー技術を向上させてきた彫り師や、それをサポートする彫られる側。そして、そうした人たちが集まり、交流できるKing Of Tattooのような場があったからこそ、今の日本のタトゥーシーンがあると強く感じた。
偉大な先人たちによって守り、発展し、受け継がれてきた日本のタトゥーシーンが今後どのように更なる進化・変貌を遂げていくのか。これからも目が離せない。
2025年も大盛況を誇ったKing Of Tattooが、2026年は場所を変え鶯谷にある東京キネマ倶楽部とダンスホール新世紀にて開催されることが決定いたしました!
4月10日(金)〜12日(日)の3日間開催され、連日タトゥーアーティストが40〜50名参加予定となっています。
詳細は下記HPで随時アップデートされていくので、タトゥーに興味のある方は是非チェックしてみてください!