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T.C tattoo tokyo表参道店 blacksheep tattoo Ayakaさんにインタビューをしました – TATTOO JAPAN #13

Ayaka: T.C tattoo tokyo 表参道店 blacksheep tattoo所属 美容師、美容部員、ネイル等様々な職種を経験したのちタトゥーアーティストとしてデビュー、韓国タトゥーなど繊細なタトゥーを得意とする。@blacksheep__tattoo_

タトゥーアーティストインタビュー連載、第13回目は、T.C tattoo tokyo 表参道店 blacksheep tattooで活躍中のAyakaさん。

韓国でのふとした思いつきをきっかけに、タトゥーの世界に飛び込んだ彼女に、彫り師としての歩みやこだわり、そして今のスタイルについて伺いました。

韓国旅行でふと入れた、小さな蝶々のタトゥー

「21歳くらいのとき、初めて韓国に旅行したんです。ただの観光で行っただけだったんですけど、ふと思い立って『今、入れられますか?』ってDMして、そのままスタジオに向かいました。」

それがAyakaさんにとってのファーストタトゥー。特別な意味があったわけではなく、あくまで「ノリで」「気軽に」だったと語る。

もともと実家はかなり厳しく、母は習字の先生、父は医療関係の会社勤め。タトゥーの文化はまったく身近にない環境だった。青森という土地柄、タトゥー=和彫り、ヤンチャというイメージが根強く、自分が入れることを想像したことすらなかったという。

初めてのタトゥーは蝶々のデザイン。サイズは小さく、細い線で描かれたシンプルなものだった。

「スタジオに入った瞬間、私が蝶々好きなのはたぶん伝わると思います(笑)」

思いつきで飛び込んだ韓国の夜、通訳もいない中、翻訳アプリを駆使して入れた小さな蝶々。深く考えたわけではなかったが、それがAyakaさんとタトゥーの最初の出会いだった。

美容師、ネイリスト、メイク。模索し続けたその先に見つけた「彫り師」

美容専門学校を卒業し、上京して美容師として働き始めたAyakaさん。その後ネイルやメイクの仕事にも携わったが、「どれも楽しかったけど、なんだかしっくりこなかった」と振り返る。

「とっても楽しかったんですけど、ずっと自分にしかできない何かをやりたかったんですよね。」

転機となったのは、コロナ禍でちょうど仕事を辞めていた時期。タトゥーも少しずつ増えていた頃だった。そんな中、友人と何気なく交わした会話が心に刺さった。

“彫る人ってかっこよくない?”って話になって。女の人が彫ってたらめっちゃいいやんって、急に思ったんです」

月1で変わる美容よりも、その人の体に残る一生モノに魅力を感じたという。

「めっちゃ感銘受けて、“あ、彫り師だ”って思って。ピーンと来て、やろう!って決めました。」

思い立ったら即行動。すぐに「なるから!」と周囲に言いふらし、弟子入り先を探し始めた。

弟子入りのきっかけは「たまたま」と「言霊」から始まった

最初に受けたスタジオは、書類選考と面接を経て不合格。それでも彫り師になりたいという気持ちは変わらず、どうせ自分もモニターを募集する側になるならと、自分がモニターとして入れに行くことにした。たまたま見つけたのがT.C. tattoo.tokyoだった。

「施術を受けながら、当時見習いだった先輩に『落ちちゃって……どうやったら彫り師になれますか?』って素直に聞いたんです。そしたら隣にいた師匠が、寝転がってる私にいきなり“面接”みたいな質問を投げてきて(笑)。」

「家どこ?」「通えるの?」など矢継ぎ早に質問が続いた末、「じゃあ、俺が教えようか?」と一言。

「え、いいんですか!って。その場で弟子入りが決まりました。施術台で寝転がりながら『明日から来ます!』って言いましたね(笑)。」

当時のTCには師匠ともう一人の彫り師、そしてAyakaさんの3人だけ。ベッドが空けばマット練、自彫り、モニター。常に何かを彫っているような日々だったという。

「1年でデビューするんで、って師匠に宣言してました。逃げ道を塞ぐために、めちゃくちゃ言いまくるんですよ私。“言霊”ですね(笑)」

周囲にも「やるから」と言いふらしていたことで拡散が広がり、SNS経由でモニターが次々と集まるようになった。

最初の自彫りも、最初の施術も「蝶々」だった

スタジオに入って1週間ほどで自分の足に彫り始め、その翌週にはモニターの募集もスタート。最初に他人に彫ったのは、友人の肩に入れた小さな蝶々だった。

「細いラインだけのシンプルなデザインでした。グラデーションもなし。怖くはなかったですね。やるしかないって感じで」

セッティングの手順も、施術の中で少しずつ覚えていった。乾燥肌や汗をかきやすい体質、体格によって針の入り方が全く異なることを実践の中で学んでいったという。

「毎回試行錯誤してました。今でもそれは変わらないですね」

現在、Ayakaさんがメインで手がけているのは、繊細なラインやグラデーションを活かした柔らかいタッチのデザイン。スタジオの雰囲気やInstagramの投稿を見て来店する人も多く、その世界観に惹かれて指名されることが増えている。

「もともと太いラインをやってなかったっていうのもありますけど、最初から細かいタッチのお客さんが多かったんです」

花のモチーフなどでは、リアルな写真を参考にしながら、その場で構成を決めて彫ることも多い。すべてを描き込まず、皮膚に彫る前提で構成していく柔軟なスタイルだ。

「全部タブレットで描くよりも、“ここにこう入れようかな”って直感で組んでいく方が、私には合ってるんです

“リアルすぎず、曖昧すぎず”。そんなバランス感覚が、今のAyakaさんのタッチを形作っている。

「タトゥーは自己表現。でも、全員に流行ってほしいわけじゃない」

「タトゥーって、自己表現だと思ってます。広まってほしいって気持ちもあるけど、正直ちょっと広まってほしくない気持ちもあるんですよね

Ayakaさんは、人と同じになることを好まない。昔から「被るのが嫌」だった。だからこそ、唯一無二のデザインを肌に刻むというタトゥーの在り方に強く惹かれたという。

みんなが入れてたら、特別じゃなくなるじゃないですか。入れてない人がいるからこそ、映えるというか」

そう語る一方、自身は“彫る側”として、タトゥーを広める立場にいる。その矛盾に気づきつつも、ある種の“特別”を守りたいという思いは変わらない。

「いい意味での“特別感”は残ってほしい。だからその人にとって一番大事な一個を一緒に考えるようにしてます」

彫り師としてスタートした当初は、親との関係も険悪になった。あまりに突然の方向転換に、半年間連絡を絶たれた。

「連絡手段、全部シャットダウンしてたら、実家から手紙が届いたんです。『来なかったら縁切るぞ』って。完全に戦争でした(笑)

和解のきっかけは、彫った作品を実際に見せたこと。「自分で彫ってるんだよ」と説明し、裏社会的なイメージを払拭した。

「話す場所も考えました。怒られないように、ちゃんと明るい焼肉屋選んで(笑)。大衆の力を借りました」

Ayakaさんにとって、タトゥーは単なるファッションや装飾ではない。それは、自分らしく生きるためのツールであり、他人と同じじゃない“特別さ”をそっと背中から支える存在だ。

目指すのは「技術で認められる女彫り師」

「TikTokとかもやってみたんですけど、やっぱり難しいんですよね。試行錯誤中です」

Ayakaさんが目指すのは、フォロワーの数ではなく“技術で評価されること”。影響力や発信の重要性も理解しつつ、それでも本質はブレたくないという。

「私は技術職なので、技術で褒められる方がうれしいんです

初めてコンベンションに足を運んだのは最近のこと。それまで「あるのは知ってた」程度だったが、実際に会場を訪れて衝撃を受けた。

鳥肌が止まらなかったです。ヤバすぎて、帰ってからすぐフラッシュ描き始めました

まだ大きな作品の経験は少ないが、将来的にはコンベンションへの出場も視野に入れている。確かな一歩を重ねながら、少しずつステージを広げていくつもりだ。

影響を受けてきたのは、少女漫画やホラー寄りの世界観。『ダレンシャン』や『たたりちゃん』など、グロテスクと可愛さの間にある不思議な美しさが好きだったという。

「かわいいのもグロいのも、どっちも好き。どっちかには絞れなくて、そのまま共存してる感じです」

スタジオの内装もその感覚が反映されている。イギリスのアンティークを基調に、紫の壁紙や遮光設計など、“異空間感”を意識して作り込んだ。

「かわいい」と「変わってる」。その間を自分らしく歩きながら、Ayakaさんは今日も一点ずつ、確かなタッチで彫り進めている。